ダビデはアビシャイに言った。
「殺してはならない。主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない。」
更に言った。
「主は生きておられる。主がサウルを打たれるだろう。時が来て死ぬか、戦に出て殺されるかだ。
主が油を注がれた方に、わたしが手をかけることを主は決してお許しにならない。
今は、枕もとの槍と水差しを取って立ち去ろう。」
サムエル記上 26:9-11
「人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。
その日には、喜び踊りなさい。
天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、 あなたがたはもう慰めを受けている。
今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、 あなたがたは飢えるようになる。
今笑っている人々は、不幸である、 あなたがたは悲しみ泣くようになる。
すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」
ルカによる福音書 6:22-26
前々章より続く敵とわたしの関係性、復讐、あるいは赦しに関するエピソードの並行箇所。
人と人の間にいる神、ダビデとヨナタンの友情に居る神は、*1敵となってしまったサウル王とダビデの間にも存在する。*2
本章においてダビデは、たとえサウル王が「時が来て死ぬ」*3としても「主がサウルを打たれる」と語る。*4
この考えはルカによる福音書の"金持ちとラザロ"のたとえを想起させる。*5
「安らかに行ってくれ。わたしとあなたの間にも、わたしの子孫とあなたの子孫の間にも、主がとこしえにおられる、と主の御名によって誓い合ったのだから。」
サムエル記上 20:42
*2:「主があなたとわたしの間を裁き、わたしのために主があなたに報復されますように。
わたしは手を下しはしません。」
サムエル記上 24:13
*3:サムエル記上 26:10
*4:貧しい人は地を継ぎ 豊かな平和に自らをゆだねるであろう。
主に従う人に向かって 主に逆らう者はたくらみ、牙をむくが 主は彼を笑われる。
彼に定めの日が来るのを見ておられるから。
主に逆らう者は剣を抜き、弓を引き絞り 貧しい人、乏しい人を倒そうとし まっすぐに歩む人を屠ろうとするが
その剣はかえって自分の胸を貫き 弓は折れるであろう。
主に従う人が持っている物は僅かでも 主に逆らう者、権力ある者の富にまさる。」
詩編 37:11-16
*5:「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、 その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。
やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。
金持ちも死んで葬られた。
そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。」
ルカによる福音書 16:19-23