互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。
実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。
各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。 めいめいが、自分の重荷を担うべきです。
ガラテヤの信徒への手紙 6:2-5
さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。
「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。
あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。
ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」
ヨハネによる福音書 13:12-15
ガラテヤ書の最終章。
キリスト教はへりくだりを尊ぶ。神がへりくだり人となったと信ずる宗教だから当たり前と言えば当たり前だが、使徒たちですらへりくだることは難しかった。*1
超個人的な話だが、インターネットでも実生活でも重度障害者以外に対しては死ぬほど偉そうに生きているように他人には見えるらしいので、キリストの説くへりくだりに添った生き方を聖霊に導かれて生きたいなという気持ち。