つまり、こういうことです。
惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。
各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。
喜んで与える人を神は愛してくださるからです。
コリントの信徒への手紙二 9:6-7
イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。
そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、 言われた。
「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。
あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」
ルカによる福音書 21:1-4
前章から引き続きパウロはエルサレム教会支援のための寄付についてコリントの教会へ語る。
ノルマが定められているから、法的に決定されているから、それが義務だから一定の額を貧しい人に与えるのではなく
惜しみなく喜びをもって与える人を神は祝福する*1ことをパウロは思い出させる。
寄付として蒔かれる種、それは労力であったり、金銭であったり、アイディアだったり、時間であったりするだろう。
それらの小さな種は、神と共に働くならば世俗的な成功ではなく、神の目から見るならば豊かな実りをもたらすだろう。*2