聖書通読チャレンジ記録

聖書通読チャレンジ感想文置き場(予定

士師記 21章

そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた。

士師記 21:25

 

このミカという男は神殿をもっており、エフォドとテラフィムを造って、息子の一人の手を満たして自分の祭司にしていた。
そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた。

士師記 17:5-6

 

士師記の最終章は補遺の最序盤で示された印象的なことばで締め括られる。

 

士師記は1-3:6までに書全体がどのようなものなのかが読み手に提示され、3:7-16で12人の士師たちの物語が語られ、17-21で士師すらいなくなったイスラエル、神の沈黙の中にある社会についての物語が語られるという三幕によって構成されている。

 

第一幕

2:16-19で士師記の中核部分である第二幕士師たちの物語の構造、ストーリーラインが示される。

「苦しむイスラエルが神に叫ぶと主が士師を派遣し彼によってイスラエルは束の間の勝利と解放を得るが、やがて堕落し偶像崇拝の罪に堕ちる」

これが端的に語るならば士師記第二幕の構造である。

 

第二幕 下降する螺旋としての循環的歴史

3:7-11で今後繰り返される士師たちの物語における最初の士師、オトニエルについて語られる。

この聖句箇所がいわば士師たちの物語における無標である。

以降の士師たちの物語は全てこの無標であるオトニエルとの比較で記述する。

 

3:12-30 "左利きのエフド"の物語。

人物に特徴、普通さから外れた部分が付く。この段階では左利きである。

また、「主に立てられた救助者」(3:15)であるエフドは、いくら相手が圧制者であるとは言え、彼を暗殺する際に平気で嘘を付く(3:19)

 

4-5 デボラ

士師は女性となる。また、圧制者を倒すのは士師やイスラエル人ではなく、異民族の女性である(5:24)

 

6-9:57 ギデオン

神の力と自らの力が同一視される(7:18)、また、神の選びではなく自らの願望で祭司が纏う服であるエフォドをいわば偶像として作製する(8:24-27)

また、民に王となるよう要請された際に一見謙虚さにより即位を断ったように見えるが(8:22-23)、その息子はアビメレク、"王の息子"と呼ばれる。

 

10:6-12:7 エフタ

圧制下にあるイスラエルが主に向かって叫ぶがその内容が異なる。

現在の苦しみさえ取り除かれるのであれば後のこと、後の世代のことはどうでもいいというような内容に変節する(10:15)

士師は売春婦の息子であり(11:1)、その周りにはならず者が数多く集まっている(11:3)

また、彼は自分の娘を人身御供として主に捧げる(11:31-11:35)

 

13-16 サムソン

イスラエルは最早、圧制者たちの支配下にあっても主に向かい叫ばない。エフタの物語の際の自分勝手とも御利益宗教とも捉えられるような叫びすら神に向かうことはない。

サムソンは女好きで、売春婦を買い(16:1)、いわば強盗殺人を行う(14:19)

 

第三幕

循環する度にどんどん下降していくイスラエルの罪の歴史はここである意味終着点に着く。

イスラエルは最早主に向かって叫ぶことなく、イスラエルに士師が遣わされもしない。

「それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた。」のである。

 

そして、この現代とも言える時代を背景に創世記、ヨシュア記の物語がもう一度、ダン族とベニヤミン族の物語として語り直される。

ただし、主という存在を(ほぼ)抜きにして。