「ギレアドはまた、エフライムへのヨルダンの渡し場を手中に収めた。
エフライムを逃げ出した者が、「渡らせてほしい」と言って来ると、ギレアド人は、「あなたはエフライム人か」と尋ね、「そうではない」と答えると、 「ではシイボレトと言ってみよ」と言い、その人が正しく発音できず、「シボレト」と言うと、直ちに捕らえ、そのヨルダンの渡し場で亡き者にした。
そのときエフライム人四万二千人が倒された。」
士師記 12:5-6
ここ完全に十五円五十銭。
「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。
あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」
マタイによる福音書 16:19
「その後、ベツレヘム出身のイブツァンが、士師としてイスラエルを裁いた。
彼には三十人の息子と三十人の娘があった。
三十人の娘は一族以外の者に嫁がせ、三十人の息子には一族以外から三十人の嫁を迎えた。
彼は七年間、イスラエルを裁いた。」
士師記 12:8-9
同じ民族であり、かつ近い地域に居住し信仰を共有している関係であっても、母語の発音がかなり異なる程度の社会的な断絶が存在するのが聖書に書かれている古代イスラエルなんだな。という感じ。イギリス英語の容認発音とコックニーのようなものか。
わざわざ"一族以外の者に嫁がせ"と記載されている以上、族内婚が通常の婚姻形式だったのだろう。
相対的な価値観に基づく世界観ならば、一般的な良い人ならばそれでええやんけ。という感じなんだろうが、完全なる善の側の視点からすれば、キリストを神の子と信ずるか。キリストの復活を信ずるか。キリストにならって生きたか。神を信ずるか…などは"シボレト"においてShiとSiが全く異なる発音であるようにその人間を識別する基準となるのかもしれない。