聖書通読チャレンジ記録

聖書通読チャレンジ感想文置き場(予定

士師記 18章

彼らは言った。
「我々の進めている旅がうまくいくかどうか知りたいのだが、神に問うていただきたい。」
祭司は、「安心して行かれるがよい。主は、あなたたちのたどる旅路を見守っておられる」と答えた。
士師記 18:5-6

 

シモンは、使徒たちが手を置くことで、“霊”が与えられるのを見、金を持って来て、 言った。
「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。」
すると、ペトロは言った。
「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。
神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。
お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。
この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。

使徒 8:18-22

 

前章より続くダン族の物語。

自らが住む所を持たずにカナンの地を彷徨い歩いていたダン族は、主に命じられてモーセがカナンの地を探らせたように(民数記 13:1-3)、あるいはヨシュアがエリコの敵情を視察させたように(ヨシュア 2:1)、ライシュの地を視察するために自分たちの部族の者たちを向かわせる。

彼らは道すがら、前章で登場したミカという個人に雇われ、祭司職という労働をして賃金を貰っているレビ人と出会い、祝福を求める。

勿論レビ人は祝福する。

現代において、宗教者たちが悔い改めへの赦しや、子供や結婚への祝福が自動的に与えられるが如く、神に問うことなく、"祝福"はダン族の偵察隊の面々へ自動的に与えられる。

 

偵察隊は、乳と蜜の流れる地の如く、「この地上のものが何一つ欠けることのない所」であるライシュに穏やかで安らかに異教徒たちが住んでいるのを見て取り、また彼らの軍事力が弱いのを知り、かつてヨシュアがエリコの内情を探らせた斥候たちのように(ヨシュア 2:23-24)部族への帰還後に侵略を進言する。

 

ダン族はライシュを攻める前にミカの家にある"神聖な"物と祭司を奪い、祭司に対し「個人宗教の祭司職よりも、イスラエルの一部族の祭司職となった方があなたのキャリアプランとして良いのではないか」とコンサルティングを行い、レビ人もこれを了承する(士師 18:18-20)

 

戦闘前に「わたしたちは神に祝福されている」と士気を上げたダン族は、穏やかに、静かに暮らしていた異教徒たちを虐殺しその街を奪う。

こうして荒野を彷徨っていたダン族は安住の地を得る(ヨシュア 19:47)

 

士師記の補遺には宗教的モチーフ、あるいは主へ言及する人間たちは頻出するが、主はただの一度も登場しない。

神は沈黙している。

 

我々は神という絶対者無しにも、まるで信仰者のように振る舞い、生きることはできるだろう。

グロテスクなイミテーションとしての信仰を。